COLUMN

新・デザイン@ランダム

第6回 人類とデザイン – その1

2本の足で歩きだした第1歩・人類はデザイン能力によって地球上の主役となった。
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地球誕生46億年前、恐竜やマンモス、その他数多くの生命体が生まれては滅んでいきました。
太陽系惑星の中で唯一水を持った「青い地球」、そして生命体が誕生したのが40億年前、
我々人類の祖先は約400万年前(一説によれば700万年前)地球上の生命体の中で
唯一2本の脚で直立歩行を始めたとされています。
直立した結果、垂直な背骨により大きな脳を支えることが可能になり、
加えて自由に使える2本の手で石器を始め、暮らしに役立つ道具を作り始めました。
その際の手と大脳の間の頻繁な情報伝達が大脳の発達を促進、初期の500ccが1000ccに発達、
続いて言語を使うことにより前頭葉が発達し、現代人とほぼ同等の1500ccとなり、
人類は地球上の他の生命体とは大きく差をつける独自の進化を遂げることになりました。
その進化のキーワードは「人類のみが持ち得た3大能力・道具の創造、言語能力、火(エネルギー)の使用」
すなわちデザイン能力そのものであったと考えられます。
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人類は他の生命体では為し得ない体系的な構造を持った言葉をしゃべり、美しい歌声を発することが出来ます。
これも直立の結果、声帯から口に至る長い声道を確保できた結果であり、
その後の人類の発展を支える集団行動を可能にしました。
すなわち、個の能力のみではなく多様な能力を結集することにより
現在に至る壮大な文明を築くことが可能になったと言えます。
加えて、空中に消え去る言葉を文字という形で定着することにより、
その場に居ない人たちにまでコミュニケーションが拡がるのみならず、
記録として時間、距離を超えて情報を伝えることが可能となりました。
そして、約5000年前、オリエント(現在の中東地域)で人類最初の文字が誕生しました。
それまで食料や水を確保するための放浪生活に終わりを告げ、
農耕による食料の確保による安定的な定住社会を構築することと相まって
物資の交換に地域を越えた商取引も始まることになりました。
そのための記録が必要となったことが数の記号を含む文字が生まれた原点だとされています。
もちろん現在の文字とは違い、柔らかい粘土板に葦の茎を削って尖らせたペンで
「楔形文字」と呼ばれる楔形の記号を彫り込み、その粘土板を竈で焼くことにより改竄を防いだとされています。
現在の社会では文字、記号に止まらずデジタル信号を始め記録に関わるメディアは多様化していますが
言葉、そして、言葉を定着するための文字、記号は広範囲にわたる正確な情報伝達を可能とし
人類社会の発展を支えてきた大きな力の一つであったと言えます。
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そして、道具を作り出す段階で大きな力になったのは「選択と組み合わせ」
すなわち単純な石の塊と木の枝を強靭な植物の蔓によって組み合わせることによりハンマー(手斧)を創り出す、
複数の材料を目的に合わせて適切に組み合わせること、すなわち「適切な選択と組み合わせ」は
新しいものの創造と同様、デザイン行為の原点であると言えます。
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人類の発展を支えてきた最も大きい能力は「火をはじめとするエネルギーのコントロール」
人類を除いて地球上の生命体は火を恐れます。人類のみが火を有効に活用することに成功しました。
恐らく、最初は自然に発生した山火事のような自然発火の残り火を活用することから始まり、
次に、自然の材料を使って火を起こすことを可能にし、
暖を取るのみならず食品の加工や外敵から身を守ることにもつながりました。
そして火を囲む団欒が家族を超えて部落の形成につながり、
拡大する集団を繋ぐコミュニケーションの手段として言語の発達につながったものと考えられます。
この火(エネルギー)を使いこなすことから石油や天然ガス、太陽熱、そして、原子力を含めて
広範囲のエネルギーを活用することにより人間の能力の拡大につながり、現代の文明・文化の発展を支えてきました。
そして、18世紀の産業革命以降、文明社会は急速な発展を遂げました。
しかし、残念ながらこの広範囲に亘るエネルギー資源の乱用が、限られた地球資源の枯渇を招くのみならず、
深刻な大気汚染を招く等の負の課題を人類に突き付けていることも確かであると言えます。
人口増加による世界的レベルの食料不足、民族、宗教紛争、等々
人類の更なる発展を支える新たな知恵が求められています。
以上、この項終わり。
次回は人類のみが持つ美意識、そして、創造力について述べたいと考えています。

坂下 清 
(一財)大阪デザインセンター アドバイザー

大阪生まれ。1957年東京芸術大学美術学部図案科卒業。同年早川電気工業(現シャープ(株))入社。さまざまな家電製品のデザインを行う一方、全社CI計画を手がける。
取締役、常務取締役、顧問を経て1997年退任。

Corporate Design Management研究をライフワークとし、大学、関係団体、デザイン研究機関にて活動を継続。

2000年~2012年(一財)大阪デザインセンター理事長。

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