COLUMN

新・デザイン@ランダム

第5回 花柄デザインのマホウビン誕生ストーリー

ほぼ半世紀前、日本全国のお茶の間、食卓で存在感を発揮していた「花柄デザインの魔法瓶」が誕生した経緯について
最近 インターネットメディアから取材を受ける機会がありました。
取材に対応するため古い資料を整理しながら記憶を呼び覚ました次第です。
なぜ今になって話題になっているのか不思議に思いましたが、
最近 NHKの朝ドラ「ひよっこ」のオープニング画面の左端に花柄の魔法瓶が登場することがきっかけになっていると聞きました。
さて、私と魔法瓶の関わりは1957年10月に当時の通商産業省が主催した「第1回輸出雑貨・陶磁器デザインコンクール」にて、
ナショナル魔法瓶(株)課題の卓上魔法瓶のデザインが通産省軽工業局長賞を受賞、同年末に同社から商品化協力の依頼を受け、
翌58年に商品化されプラスチック成型のワンピースのシンプルなデザインが市場で評価されヒット商品となりました。
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私自身は同年3月末に東京芸術大学図案科を卒業、同年すでにテレビの量産で高い評価を得ていた
早川電気工業(現シャープ)株式会社に入社、
ホームラジオ、トランジスタラジオのデザインに従事していましたが、商品分野が全く相違し競合分野ではないため、
魔法瓶商品開発のコンサルティングを継続し、多様な商品開発に関わっていました。
1963年12月、米国市場の開拓に向けて設立された現地販売会社 SHARP ELECTRONICS CORPORATIONに
市場調査、商品開発デザイン担当課長として出向、
最先端の市場動向調査、商品デザイン開発を担当、アメリカのトップデザイナーとの交流も含め、
貴重な体験を得ることとなりました。
ほぼ3年間に及ぶ体験は、語学力のみならず、マーケティング、プロダクトプランニング、等々
幅広い能力開発に役立ちました。
1966年3月に帰国、本社意匠センターに所属し、全社デザインの調整業務を担当。
特に海外市場向けのデザイン戦略立案に注力することになりました。
幸い、国内の景気は戦後最悪の不況とされた1965年から回復基調となり、
1970年まで続く「いざなぎ景気」により生活基盤の向上が顕著となり、
家電商品のみならず日々の生活を豊かにする多様な商品開発が行われることとなりました。
一方、エベレスト魔法瓶に対するコンサルティング活動を再開することになりましたが、
魔法瓶業界も従来の携帯型のみならず、卓上型も自動開栓等の新機能も含め多様化が進んでいました。
当時の卓上魔法瓶は、二重真空ガラス管を単色のブリキ鋼板の外装でカバーされたものが殆どでしたが、
大きな変化が起こりました。
正確な日時は記憶にありませんが、外装を担当していた業者から最新のフルカラー印刷機を導入したとの情報があり、
従来のイメージを一新する可能性を検討することになりました。
当時、公団住宅の典型的な間取りであった「2DK」に象徴されるように従来のじめじめした台所から解放され、
一家団欒の場としての華やかな空間を彩る主役にふさわしい花柄の卓上魔法瓶を産み出す発想が生まれました。
私自身は、昭和一桁 大阪の船場に生まれ、本町界隈の繊維商社が扱う
世界市場向けの華やかな織物を見ながら育った潜在的な何かが、
当時では有り得なかった花柄を卓上魔法瓶の外装に生かす発想につながったのではないかと思っています。
卓上魔法瓶は高温のお湯を長時間保存することが可能なため、食卓の近くが定位置であり
「一家団欒の食卓に花を添える存在でありたい」という思いが花柄魔法瓶の誕生となったと思っています。
花柄の制作にあたっては、船場の大手繊維商社のテキスタイルデザイナーとして勤務していた
東京芸術大学の同級生に相談し、
京都の伏見で京友禅の原画を制作されている中でも花の描写を得意とする作家の紹介を得ることができました。
早速工房を訪問し、制作趣旨を説明・納得をいただいた上で、
結果として予想を超える美しい原画を制作いただき、量産に移行することが出来ました。
市場では高い評価を得ることとなり、競合他社も参入することにより当時の卓上魔法瓶の出荷金額は、
1969年に前年比倍増の約140億円になったと聞いています。
このデザインは私にとっても、私自身が創造したり、マネジメントをした数多くの商品デザインの中でも最も思い入れの強いものの一つであり、
また、多くの人の心に残っているデザインを創造できたことは、デザイナー冥利に尽きるものだと心に留めています。

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(撮影協力:象印マホービン(株) まほうびん記念館)

坂下 清 
(一財)大阪デザインセンター アドバイザー

大阪生まれ。1957年東京芸術大学美術学部図案科卒業。同年早川電気工業(現シャープ(株))入社。さまざまな家電製品のデザインを行う一方、全社CI計画を手がける。
取締役、常務取締役、顧問を経て1997年退任。

Corporate Design Management研究をライフワークとし、大学、関係団体、デザイン研究機関にて活動を継続。

2000年~2012年(一財)大阪デザインセンター理事長。

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