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『話せば、燃える。TAKIGI Talk Live』 レポート vol.4 遠藤秀平氏「未来を諦めた街に建築は生まれない。大阪どうする!?」

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vol.4「未来を諦めた街に建築は生まれない。大阪どうする!?」
2019年12月19日(木)18:00~20:00

ゲスト:
遠藤秀平氏
建築家/神戸大学教授

コーディネーター:
藤脇慎吾氏
有限会社フジワキデザイン 代表
京都市立芸術大学 非常勤講師

聞き手:
越田英喜
一般財団法人大阪デザインセンター 理事長

 

10年先、20年先の価値観を建築にしている

 

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左奥から、遠藤さん、藤脇さん、越田

「TAKIGI Talk Live」もいよいよ最終回。締めくくりのゲストは、建築家で株式会社遠藤秀平建築研究所代表、神戸大学大学院教授の遠藤秀平さんです。会場は、前回と同じく大阪・堺筋本町の丸一商店株式会社1階ギャラリー。参加者は26名でした。

今回のトークのテーマは、「未来を諦めた街に建築は生まれない。大阪どうする?」。遠藤さん、コーディネーターの藤脇慎吾さん、越田英喜・当センター理事長は、京都市立芸術大学を縁とする関係。「ただし、今までのゲストとは違って僕より先輩です」(藤脇さん)。

「遠藤さんはアート心のある建築家で、大阪に事務所を構え、街の行方を案じてらっしゃる。特に、万博どうしますかね?」

藤脇さんの問いかけに、遠藤さんは打ち明けます。「10歳のとき、小学4年生で体験した1970年の大阪万博が、建築に対する夢を育むきっかけでした」

「田舎の少年でしたから、宇宙へ連れて行ってもらったような衝撃でしたね」。その夢は高校生になってより具体的になり、京都市立芸術大学へ進学。時代はポストモダン。大学3年の時、ヨーロッパを旅行します。古典建築をたくさん見て、「美しいけど、違う。日本人の主食はこれじゃない。結局自分が作らないといけないのかなと」。そんな思いを抱いて、28歳で独立。

「まもなく私は60歳になります。次の万博の年は65歳。いろんなものを造ってきましたが、そろそろ自身の仕事をまとめていかなければと思っています」

多様性×抽象性の解を求めて

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ここからはスライドを使って、遠藤さんの代表的な仕事が次々と紹介されました。「多様性と抽象性。この二つをどう料理するのかが時代の課題です。作品を作る時は、いつもこれを意識しながら設計しています」。スライドを見ていくと、遠藤さんの作品を特徴づける素材・コルゲート鋼板は、初期から一貫して使われていたことがわかります。

「私は30代でまだ若かったけれど、90年代はやりたいことができる雰囲気がありました。2000年代からは少し大きな規模の建築ができるようになり、コンペも取れるようになってスタッフも増えました」

播磨科学公園都市内や大阪城公園のトイレ・休憩施設の画像を見ながら、「おもしろいですね。かつては、公共施設でこのデザインが OK もらえたなんて」と藤脇さん。「楽しい形だといって、子どもたちが喜んで使ってくれてるみたいです」と遠藤さん。

兵庫県三木市のテニスドーム、神戸市の塩屋にある極端な立地の家、兵庫県揖保郡の筑紫の丘斎場、新潟県柏崎市のブルボン本社ビル、最新作の岐阜県のホテル「 Hida OPPARA 」などの国内での建築物のほかに、中国・広州で進行途中のプロジェクトもスライドで紹介。「自然の造形は美しい。それをどう抽象化するかが人間に与えられた能力。どこまでそれを実現できるかということですね」

ル・コルビュジエが設計した、セーヌ川に浮かぶ避難所「アジール・フロッタン」の再生プロジェクトについては、コルビュジエの弟子であった前川國男さんに声をかけられて参加したとのこと。現在は、遠藤さんが中心となって再生のための活動を導いています。

遠藤さんは世界の建築ミニチュアのコレクターでもあり、コレクション展を行なったことも。「パリのエッフェル塔、ロンドンのビッグベンなど、ミニチュアになるような建築こそ街の象徴、街の顔なんです」

記憶を作るのが建築の役割

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後半は、参加者も加わりながらのクロストークが展開されました。

藤脇 今の時代、個性的なものは排除されていく傾向がある。

越田 前回の万博の時も太陽の塔は酷評されたんですよね。遠藤さんの建築はアート性が強く、図面が抽象画のようですね。これだけ大胆なものを提案していくには、強い自己決定力がないとできない。建築は失敗した時でも壊せないでしょう?

遠藤 幸い大きな失敗はないです。でも、そのために図面は何枚も描きます。プレゼンテーションにはなるべく大きな模型を使い、最近はアニメーションも使います。私は、失敗を恐れて建築から実験的な要素をなくしてはいけないと思っています。なくしてしまうと既製品の寄せ集めになりますから。無謀であってはいけない、でも自分の中で見えたところまではチャレンジしないといけない。チャレンジしやすいのが大阪のいいところだとも思う。時代がこんなになってきても、大阪はまだ余力を残していると思います。

越田 70年万博では丹下健三さんのお祭り広場が画期的だった。今度の万博はどんなランドマークが建つでしょう? 今の大阪はいろいろな物語があるが、それをまとめきれてないようにも思いますが。

遠藤 「いつ、誰と、何をしたか」という記憶を作ることが建築の役割だと思う。つまり、イメージを決定づけるものが必要だと思います。子どもたちにメッセージとして伝えていけるようなものをランドマークとして作ってほしいです。

参加者 遠藤さんは、日本人の主食になるような建築を作るとおっしゃっていましたが、ご自身の作品は日本的な和のイメージからはかけ離れているように思ったのですが。

遠藤 申し訳ないけれど、あれがそうなんです。私は建築とは何かということを40年以上考えてきました。それに対しての答えは、「建築とは見えない価値観を見えるものにする」ということ。10年、20年先の価値観を顕在化したいと思っています。日本的な建築が素晴らしいというのも価値観ですが、それは歴史上で完成されている。私はまだ見えない価値観を顕在化したいので、過去の模倣はしない。もう出来上がっているものを作っても、それ以上のものはできないです。

大阪の民のチカラに期待する

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越田 前回の万博の時、大阪にもデザイナーはいるのに、ほぼ東京の人たちが仕事をしました。万博は国が主催なので、そうなりやすいですが、もっと地域性を大切にして、そこからアーティストが羽ばたいていくようなステージにできないでしょうか。

遠藤 フランスでは政府がお金を出さなくても民間が出すんです。そういう意味では大阪と似たところがある。二の足を踏んでいる企業が一歩踏み出すような気分になれば。

越田 ミナミはエンタメの原点ともいえる街ですし、デザインは大阪の地場産業でもありました。

遠藤 シンガポールや上海は相当変わってきています。広州なんか、みんなが目立ちたいと思っていて意欲がある。それに比べると、東京はここ10年ぐらいあまり変化がない。みんな疲れているようにも見えます。大阪のほうが余力があるし、関西は日常のベースがもともと高い。若い人が関西で学ぶことはとてもいいと思います。

遠藤さんの話に刺激を受けて、会場からは「自分も街の象徴になるようなものを作らないと、と思った」という声も。「実験的なことも遠藤さんのように本気でやると、相手に受け入れられるのだという勇気をもらえた」。越田理事長は力を込めてしめくくりました。

建築家のまなざしは、万博を超え、ずっと先の未来の記憶を照射しているようでした。

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