国際デザインコンペティション 過去のデータ

設立の背景

戦後、我が国は驚異的な高度経済成長を達成し、物質的には非常に豊になった。しかし、石油危機を契機に人々は、精神的、文化的にも充実したより高度な社会環境を求めるようになってきた。こうした時流の中で、精神文化と物質文明との架け橋ともいうべきデザインの重要性が人々に認識され始めた。
一方、我が国のデザイン水準の向上は目覚しく、海外で開催される国際的なデザインコンペティションにおいても、日本のデザイナーが数多く入賞し、世界のデザイン関係者の注目を浴びるなど、これまでのデザイン受信地から発信地としての位置に変わりつつあった。しかしながら、当時日本には国際的なデザインコンペティションは無く、その開催が内外のデザイン関係者から熱望されていたのである。 このような中で、1979年6月通商産業省の輸出検査及びデザイン奨励審議会のデザイン奨励部会は、「今後のデザイン振興策について」と課題する報告書で、80年代に向けての数々のデザイン振興施策を提言したが、その中で我が国及び世界のデザイン水準の向上とそれに対する我が国の貢献、国際文化交流推進等の見地から、国際的な規模のデザインコンペティションの開催を提案した。

大阪開催誘致

大阪は有能なデザイナーを多数輩出し、行政もいち早く1960年には大阪デザインセンターを設立するなど積極的にデザイン振興をはかっており、我が国デザインの中枢地区の一つとして位置づけられていた。また、当時大阪では、21世紀に向けて多彩な催しや、国際交流、文化活動のための施設作りにより、大阪をよみがえらせようという大阪21世紀計画の構想が進められており、このビエンナーレ展に対し積極的な関心が示された。
1981年2月、大阪府、大阪市及び大阪商工会議所など在阪経済5団体、大阪デザインセンターの8者が「産業デザイン国際ビエンナーレ展の大阪開催誘致に関する要望書」を国に提出し、1983年から2年おきに大阪で恒久開催することが正式に承認されたのである。

協会の設立

1981年10月26日には協会設立発起人会が開かれ、あらゆるデザイン分野における国際交流を推進し、産業および文化の発展と人類社会の向上に寄与することを目的に、財団法人国際デザイン交流協会設立され、翌11月通商産業大臣より協会設立の許可がおり、ここに正式に発足するところとなった。

国際デザイン・フェスティバルの開催

コンペティション、アワード両事業の具体化にあたっては、この事業の性格を先進国、発展途上国を問わず世界中から参加できるものにすることを方針として検討が進められた。そして、これら事業の基本テーマとして「生あるもののためのデザイン」を決定し、これに基づき第1回コンペティションのテーマを「集」と決定した。当初、世界の優れたデザイン製品を選んで一堂に展示することを意図にしていたアワードについては、実施方法を検討する過程において商品設定の方法など難題が多く出てきたため、表彰の対象が製品から、デザイン活動等に功績のある個人、団体に変更された。この変更により展示が地味なものになることを避けるため、市民にアピールする展示事業が検討され、その結果、新たにデザイン展の構想が生まれた。そして、事業の名称もそれぞれ、「国際デザイン・コンペティション」、「国際デザイン・アワード」「国際デザイン展」とし、この3事業と関連事業で構成される、世界でもユニークな総合的デザインイベント「国際デザイン・フェスティバル」の構想がまとまった。
この間、協会は国際的なデザイン組織であるICSID(国際インダストリアルデザイン団体協議会)、ICOGRADA(国際グラフィックデザイン協会協議会)、IFI(国際インテリアデザイナー連盟)に代表者を派遣し、国際デザイン・コンペティションについて、国際コンペとしての正式承認を得るとともに、この事業への協力を要請した。
1983年10月7日、第1回国際デザイン・フェスティバルの開幕式典が皇太子・同妃両殿下(現天皇皇后両陛下)のご臨席のもとに大阪・千里の万国博ホールで開かれ、第1回国際デザイン・コンペティション及び第1回国際デザイン・アワードの受賞者が表彰された。完成したばかりの大阪城ホールで開催された第1回国際デザイン展は19日間で26万6千人の入場者を集め、デザインと市民を結ぶビックイベントとして新聞、雑誌、テレビなどで連日大きく報じられた。

国際デザインコンペティションの変遷
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